気持ちを穏やかに一日を過ごす方法「赦しについて」

気持ちを穏やかに一日を過ごす方法「赦しについて」

 赦しについて考えてみます。

まず、ここで、一般的に言われている許すとの違いを説明するために、許すについて考えています。

 許すとは、まず、罪が存在しており、その罪を償うために、罰する必要があるとします。
しかし、その罰を与えることをしないでも、相手の罪を受け入れて容認することを許すと言います。
 (また、ここでは、許可というのは、問題の議論とは、違う意味なので、除外しておきます。)

しかし、この考え方のそもそもの定義のおかしなところは罪が存在しているとするところです。

わたしたちは、神の子なので、罪は存在するはずはありません。
ということになると、罰もそもそも存在しないことになります。
 罪も存在しないし、罰も存在しない。
そもそも、神のような創造者が罰するということもありえません。
あなたは、罪人であるわけではありません。
 (神は罰をあてるということはありえません)

 以上が許しに関しての考察です。

では、赦しとはなんでしょうか?
ここでお話しているのもおかしいのですが、わたしもまだ完全に理解していないということを言っておきます。

その上で、お話しますと、

 赦しとは、そもそも、無罪だし、罰も存在しない。
そういうわけで、あなたが神の子であるということを思い出す。
あなたは、無罪であり無垢であり、光であるということ。
もともと、正常であったということに気づき戻すことではないかと思います。

あるとき、わたしたちは、被造物であるわたしたちや、創造主である神を攻撃しようという思いが、神の子であるというアイデンティティー(同一性、自己同一性・・・時間や環境に関わらず、連続する同一のものであること)を拒否してしまった。
その攻撃を赦しにより、取り替えることによって、死の想念から、幸福の想念へ戻すことと言えます。
そうすることを本当の意味での赦しといえるのかもしれません。

 赦しは、人生での大きな課題であり、レッスンであると言えます